家紋と名字は関係あるの?同じ名字でも紋が違う理由

※当サイトの記事は、公開時点で確認できた資料に基づいて作成していますが、内容の正確性・完全性を保証するものではありません。家紋や苗字の由来には諸説あり、本文の記述が唯一の定説であるとは限りません。

「佐藤という苗字の家紋は何ですか?」と聞かれることがありますが、こたえることは難しいです。

というのも、同じ佐藤という苗字でも、家によって家紋はバラバラだからです。

ただ、まったく無関係かというとそうでもありません。
苗字と家紋のあいだには、たしかにゆるやかなつながりがあります。

この記事では、家紋と名字がどう関係し、どこから関係しなくなるのか、そして同じ苗字なのに家紋が違ってしまう理由を整理します。

まず押さえたい前提:「姓」「苗字」「家紋」は出どころが違う

混乱の原因は、姓・名字・家紋と似たようなものを3つまとめて考えてしまうことにあります。

順番に切り分けます。

姓(氏)は、もともと天皇から与えられる血統の呼び名です。
源・平・藤原・橘、いわゆる源平藤橘がこれにあたります。
自分で名乗るものではなく、与えられるものでした。

苗字(名字)は、その一族が住んだ土地の地名や、地形、屋敷の場所などから自分たちで名乗った呼び名です。
藤原氏がふくれあがって「藤原さん」だらけになったとき、区別のために「近衛」「九条」「一条」と京都の通りの名を名乗ったのがわかりやすい例です。
武士も同じで、領した土地の名をそのまま苗字にしました。

家紋は、家を示す図形の目印です。
平安時代の中頃に生まれ、公家が牛車に付けたのが始まりとされます。
貴族の牛車が路上ですれ違う際、身分の低いほうが道を譲る必要があったため、身分を示す目印として牛車に紋を描いたという説明が比較的知られています。

つまり、姓は「与えられた血統名」、苗字は「自称した所在地の名」、家紋は「図形の目印」。成立の時期も理屈も別々です。

この3つが完全に一致することは、そもそも制度上保証されていません。

苗字と家紋がつながっている典型例

とはいえ、関係が見える例はたくさんあります。

「藤」のつく苗字と藤紋

佐藤、伊藤、加藤、斎藤、近藤、遠藤、後藤、安藤、内藤。
これらに共通する「藤」の字は、藤原氏に由来するといわれます。
地方に下って土着した藤原氏の一族が、中央の藤原氏と区別するために「◯◯の藤原」と名乗ったという説明です。
加賀の藤原で加藤、伊勢の藤原で伊藤、といった具合ですね。

そして藤原氏にゆかりのある家は、藤の花をかたどった藤紋を使いました。藤は長寿で繁殖力が強い縁起のよい植物とされ、これを図案化したものが藤紋で、藤原氏にあやかって広く使われるようになったとされています。「藤」のつく苗字の家に藤紋が多いのは、こうした背景があるからです。 Harimaya

ただし、この由来説を鵜呑みにするのは危険です。
「藤がつくから藤原氏の子孫」と単純に結びつけられるわけではない、という前提で見ておくのが誠実なところでしょう。

ついでに言えば、「下り藤は藤原氏本流、上り藤はそれ以外」という説明もよく見かけますが、これは俗説とされているものです。分家が上り藤を使ったという説明も同様で、確たる根拠はありません。 Irohakamon

地名由来の苗字とその土地の紋

名字の多くは地名や地形に由来します。
渡辺、菊池、伊達、島津。その土地に根を張った一族が、同じ紋を共有しているケースは実際に多くあります。
同じ地域の同姓の家をいくつか回ると同じ紋が出てくる、という現象はここから生まれます。

同じ名字で紋が違う6つの理由

名字が同じでも家紋が違う理由は一つではなく、複数の事情が重なっています。

理由1:同じ苗字でも、そもそも別の家だから

これが最大の理由です。
田中、山本、中村、山田。
こうした苗字は、地形や集落の位置を素直に表した言葉です。
田んぼの中に家があれば田中、山のふもとなら山本。
これは日本中どこでも同時多発的に発生します。

つまり、青森の田中家と鹿児島の田中家は、血縁的にはまったくの他人である可能性が極めて高いのです。
苗字が同じことは、共通の祖先を意味しません。
他人同士なのですから、家紋が違うのはむしろ当たり前です。

理由2:分家するときに紋を変えたから

本家と分家を区別するために、紋に手を加える慣習がありました。新たに分家を構えるときに、本家の家紋を丸で囲むなど少しだけ変えて使う例も多く、これによって家紋の種類は増えていったとされています。 参考:Japanese Government Online

丸で囲む、向きを逆にする、花や葉の数を変える、外郭の形を変える。「片喰」に対して「丸に片喰」「剣片喰」があるように、同系統でありながら別の紋として成立していきます。
同じ一族なのに紋が微妙に違う場合、これを疑うのが定石です。

理由3:主君から紋を賜った(拝領紋)/逆に使えなくなった

功績のあった家臣に、主君が自分の紋を与えることがありました。与えられた側は名誉として使い、もとの紋と併用したり、そちらを表紋にしたりします。
同じ苗字の家でも、仕えた相手が違えばここで分岐します。

逆に、使用を禁じられる紋もありました。

豊臣秀吉は天正19年(1591年)に菊紋・桐紋の使用を制限する規制を出し、江戸幕府も当初は家紋への規制がゆるやかだったものの、町人が葵紋を勝手に使うなどの事態を受けて享保年間(1716-1735)に葵紋の使用禁止令を出したとされています。
禁止されれば、その家は別の紋に替えるしかありません。

紋を勝手に使ってよいのかという論点については、別記事で紹介予定です。

理由4:婚姻・養子で紋が入れ替わったから

家が絶えかけたときに養子を迎えれば、入ってきた側の紋に変わることもあれば、家の紋を継がせることもあります。
婚姻でも同様です。

また、母から娘へと女系で受け継ぐ女紋の慣習が残る地域では、一つの家に父方の紋と母方の紋が併存します。
関西や瀬戸内を中心に見られる慣習で、これも「同じ苗字なのに紋が違う」現象の一因です。
詳しくは「女紋とは何か」の記事で解説しています。

理由5:苗字と家紋では、庶民に広まった時期が逆だから

江戸時代の庶民は、苗字を公に名乗れない一方で、家紋は自由に使えました。

『日本史大事典』は、家紋の使用制限・統制は、菊紋・桐紋・葵紋および領主の家紋を除いては苗字のように禁じられることはなく、紋付を着られるほどの者は勝手に用いていたと説明しています。百姓・町人だけでなく、役者・芸人・遊女といった当時の身分制度で低く位置づけられた人々までが自由に家紋を用いており、これは貴族などごく一部にしか紋章が許されなかったヨーロッパとは対照的でした。
参考:National Diet LibraryWikipedia

苗字を名乗ることを禁じられていた多くの庶民にとって、家をひと目で識別できる家紋が、苗字の代わりに用いられることが多かったのです。 参考:Japanese Government Online

つまり順番としては、家紋のほうが先にあり、苗字が後から来た家がたくさんあるということです。
両者が別々の理屈で成立している以上、対応関係がきれいに揃うはずがありません。

理由6:明治に、苗字と家紋が別々に決まったから

明治政府は、1870年(明治3年)9月19日に太政官布告第608号「平民苗字許可令」を出して平民が苗字を名乗ることを許可しました。
しかし届出は円滑に進まず、税金が増えるのではないかという警戒感があったともいわれ、1875年(明治8年)2月13日にあらためて「苗字必称義務令」を出して、すべての国民に苗字を名乗ることを義務づけました。
この布告には、今後は必ず苗字を名乗ること、祖先以来の苗字がわからない者は新たに苗字を設けるべきことが記されています。 参考:National Archives of JapanNational Archives of Japan

このとき何が起きたか。新たに苗字を名乗るにあたって、出自に沿った家紋を用いる家もあれば、それまで苗字を持たなかった者が土地の名士の助言を得て家紋を決める例もありました。 参考:Japanese Government Online

苗字は苗字で新しく決め、家紋は家紋で(あるいは既にあるものを)別途決める。この時期に両者が独立して確定した家が相当数あるわけです。ここで結びつきは決定的に切れました。

一つの家が複数の紋を持っていることもある

正式な定紋のほかに、略式や好みで使う替紋を持つ家があります。

現在使われている家紋は2万とも2万5000ともいわれますが、定紋に加えて替紋や女紋など新たな紋が次々と生まれてきたため、実数の把握は不可能とされています。

同じ家の中でも、墓石の紋と紋付羽織の紋が違うということが起こりえます。

親族間で話が食い違うときは、片方が替紋を見ている可能性を考えてみてください。

逆に苗字が違うのに同じ紋のことも多い

ここまでの裏返しです。

片喰紋、木瓜紋、鷹の羽紋、橘紋、蔦紋といった人気の高い紋は、まったく血縁のない家々が全国で使っています。

デザインが美しい、縁起がよい、繁殖力が強く子孫繁栄を連想させる。そうした理由で選ばれた紋は、苗字の垣根を軽々と越えていきます。

たとえば「丸に違い鷹の羽」を使う家は日本中にありますが、その全部が親戚であるはずがありません。

家紋の一致は、血縁の証拠にはならないのです。

「苗字別・家紋一覧」の正しい使い方

ネット上には「◯◯さんの家紋はこれ」という一覧表が数多くあります。これらが無意味というわけではありませんが、性質を理解して使う必要があります。

あの手の一覧が示しているのは、その苗字の家が使っている家紋として頻度の高いものです。確率の話であって、あなたの家の紋を特定するものではありません。「佐藤なら源氏車」「鈴木なら稲紋」といった記述を見ても、それは候補の一つにすぎないと受け止めてください。

家紋は家ごとに伝わるものです。統計ではなく、自分の家の実物を確認するしかありません。

自分の家の紋を知りたいときは

苗字から逆引きしようとせず、次の順で当たるのが確実です。

一つ目は、親族に聞くこと。
特に本家筋の年長者。

二つ目は、お墓を見に行くこと。墓石の竿石や水鉢に彫られています。

三つ目は、紋付の着物、仏壇、提灯、古い箪笥、蔵の扉。四つ目は、菩提寺の過去帳や位牌の確認です。

具体的な手順は「自分の家紋の調べ方」の記事にまとめてあります。あわせてご覧ください。

なお、どうしても判明しない場合、新たに決めてしまっても法的な問題はありません。家紋は登記されるものでも登録されるものでもなく、権利義務の対象ではないからです。

まとめ

苗字と家紋にはたしかに関係があります。
藤原氏と藤紋のように、出自をたどる手がかりになる組み合わせも存在します。

しかし、それは「関係があることもある」という程度のゆるいつながりです。
同じ苗字でも紋が違う理由をもう一度並べると、

第一に、同じ苗字でも別系統の他人であることが多いから。
第二に、分家の際に紋を変えたから。
第三に、拝領紋や禁令で紋が入れ替わったから。
第四に、婚姻・養子・女紋で系統が交わったから。
第五に、江戸時代は苗字が禁じられ家紋は自由という逆転状態だったから。
第六に、明治に苗字と家紋が別々に決まったから。

苗字は「名前」、家紋は「マーク」。
似た役割を持ちながら、まったく別の歴史を歩んできた二つのしるしです。
だからこそ、両方を見ることで、その家の来歴が少しだけ立体的に見えてきます。

参考文献・出典

国立公文書館ニュース Vol.11「あの日の公文書」
https://www.archives.go.jp/naj_news/11/anohi.html

レファレンス協同データベース「江戸時代、家紋は勝手に用いることができたのか」
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000037628&page=ref_view

政府広報オンライン Highlighting Japan「日本の家の紋章『家紋』の歴史と特徴」
https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202212/202212_03_jp.html

執筆者情報

樋口智大(行政書士)

アロー行政書士事務所の行政書士。
ドローン飛行許可申請や酒類販売業免許申請、古物商許可申請等の許認可取得のサポートをしています。
行政書士になってから紙・電子含めて印鑑と向き合う機会が増えました。また、酒類販売業免許をやっていると海外取引に触れる機会も多いことから、印鑑文化が海外では通用しないこと(サインが基本等)など、印に対するさまざまな経験をしたことにより、逆に興味を持つようになり、このような印鑑に関するブログを運営しております。歴史な好きなこともあり、家紋についても解説しております。