桐紋はなぜ日本のあちこちにあるのか?500円玉や首相の演台などさまざまな場面で見られる桐紋について

お財布に500円玉があったら、見てください。

中央に、細長い葉とそこから立ち上がる3本の花の穂が描かれています。これがです。

同じ紋を皆さんはよく目にしているかと思います。たとえば首相が記者会見をするときには演台の正面に付いている金色のプレートがありますが、あれも桐です。

そしてこの紋は、豊臣秀吉が使っていた紋でもあります。

なぜ、秀吉の紋が現代の日本政府の紋になっているのか。

たどっていくと、皇室から武家へ、武家から明治政府へと、1000年以上にわたって受け渡されてきた「しるし」の歴史が見えてきます。

※本記事は一般的な情報提供を目的としたものです。家紋の由来や歴史については諸説があり、研究者や資料によって説明が異なる場合があります。

桐は鳳凰が止まる木だった

まず、なぜ数ある植物のなかで桐だったのか。

古代中国の伝承に、鳳凰は桐の木にしか止まらないというものがあります。

鳳凰は、聖天子が現れるときに姿を見せるとされた瑞鳥です。その鳳凰が選ぶ木なのだから、桐もまた神聖な木である——そういう連想が中国から日本へ伝わりました。

平安時代前期、嵯峨天皇の治世に、天皇が祭祀や国事に用いる装束が黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)と定められます。この装束に織り出されていた文様が、桐竹鳳凰文(きりたけほうおうもん)でした。

桐と竹と鳳凰を組み合わせたこの文様は、天皇の装束のための特別な意匠です。ここから桐は、事実上の皇室専用の紋様として扱われるようになりました。

やがてこの文様のうち、桐の部分だけを取り出して紋章として使うようになります。これが桐紋の始まりだと考えられています。

五三桐と五七桐、数えるのは花の数

桐紋にはよく似た2つの形があります。

五三桐五七桐です。

五三桐※参考画像

五七桐※参考画像

どちらも、桐の葉の上に3本の花序(花のついた穂)が立っている構図です。違いは、その花の数

  • 五三桐:左から 3・5・3
  • 五七桐:左から 5・7・5

たったこれだけの違いですが、この2つには格の上下がありました。

もともと黄櫨染御袍の桐竹鳳凰文に描かれていた桐は3・5・3、つまり五三桐の形だったとされます。そこに、より華やかな5・7・5の形が生まれ、こちらがより上位の紋として扱われるようになりました。

この上下関係は、後の時代にはっきりと制度化されます。天皇から直接五七桐を下賜された為政者が、さらに自分の家臣に紋を与えるときには五三桐を渡す、という慣習が生まれました。明治以降には、大礼服に関する太政官布告の規定などにも、五三桐を五七桐の格下に置く扱いが見られます。

もっとも、天皇のみが着用を許される黄櫨染御袍の桐紋は、今も五三桐のままです。格付けが後から生まれたものであることを、この装束が静かに証明しています。

下賜の連鎖——紋が権威の通貨になった

ここからが、桐紋が日本中に広がっていく話です。

皇室の紋であった桐紋は、天皇が功績のあった臣下に与えるものになりました。もらった側にとっては、天皇に認められた証です。これ以上の権威づけはありません。

足利尊氏が桐紋を許されたと伝えられ、室町幕府の歴代将軍がこれを用いました。そして尊氏自身も、家臣に桐紋を分け与えています。

戦国期には織田信長が、そして信長から豊臣秀吉へと渡ります。秀吉は当初、信長から与えられた五三桐を用い、後に豊臣姓を名乗るようになってからは五七桐を使うようになったとされます。

さらに秀吉は、この紋を家臣たちに惜しみなく与えました。ここが重要です。桐紋は下賜されるたびに、下へ下へと広がっていったのです。

菊紋が皇室に留まり続けたのに対し、桐紋は「与えるための紋」として機能した。だからこそ現代、無数の家が桐紋を家紋としています。あなたの家の紋が桐であっても、それは秀吉の子孫だからではなく、この長い下賜の連鎖のどこかに祖先がいたからと考えるほうが自然です。

(なお、歴史の細部については諸説あります。ここでは通説とされる流れを紹介しています。ご了承ください)

そして明治政府が受け継いだ

明治になって、新しい政府が自らの紋章を必要としたとき、選ばれたのが桐紋でした。

皇室の紋である菊は、政府が日常的に使うには重すぎる。一方、桐は皇室に由来しながら、為政者に下賜されてきた歴史がある。「天皇から統治を委ねられた者の紋」として、これほど都合のよい意匠はありません。

つまり日本政府が桐紋を使っているのは、豊臣秀吉と何か関係があるからではありません。秀吉と明治政府は、同じ源流から別々に紋を受け取ったというだけの話です。

ただ、その源流をたどると同じ場所に行き着く。だから同じ紋になった。歴史というのは、こういう筋の通り方をするものだと思います。

桐紋は今どこで使われているか

改めて、身の回りの桐紋を探してみましょう。

五七桐が使われているもの:

  • 首相官邸・内閣総理大臣の紋章。記者会見の演台に付くプレートがこれです
  • 500円硬貨。1982年(昭和57年)に発行が始まった500円硬貨から、表面に桐が使われています
  • 帰国のための渡航書。パスポートを紛失した人が海外で発給を受ける文書で、その表紙は五七桐です

五三桐が使われているもの:

  • 法務省、皇宮警察本部。五七桐より一段下の格とされた歴史を反映しています
  • 貸衣装の紋付や留袖。こちらは後で詳しく触れます

かつては日本国有鉄道の帽章も、桐紋に蒸気機関車の動輪を組み合わせた意匠でした。

こうして並べると、桐紋が「国家が公に何かを示すときの記号」として使われ続けてきたことがわかります。

菊と桐そして日本の国章は?

ここでよく混同される点を整理しておきます。

皇室の紋章は十六八重表菊(じゅうろくやえおもてぎく)、いわゆる菊花紋です。桐ではありません。

日本のパスポートの表紙に使われているのは、菊のほう(十六一重表菊)です。1926年(大正15年)以来ずっとこの意匠が使われています。

面白いのは、パスポートは菊なのに、帰国のための渡航書は桐だという点です。正式な旅券には皇室に準じる菊を、政府が発給する簡易な文書には桐を——という使い分けがそこにあります。

なお、日本には法律で定められた国章がありません。菊花紋が事実上それに近い扱いを受け、桐紋が政府の紋として使われている。法律で決めるまでもなく、慣習として定着してきたものが今も生きている、というのは、いかにも「しるし」らしい話です。

なぜ冠婚葬祭の貸衣装は五三桐なのか

最後に、いちばん身近な桐紋の話をします。

結婚式や葬儀で貸衣装の紋付や留袖を借りると、たいてい五三桐が入っています。「あれ、うちの家紋じゃないぞ」と思った方もいるはずです。

これは通紋(かよいもん)と呼ばれるものです。誰の家の紋でもないので、誰が着ても差し支えない。貸衣装のためにそういう扱いが定着しました。

なぜ五三桐が選ばれたのか。理由は、あまりに広く使われすぎたからです。

下賜に下賜が重ねられ、日本中の家に広がった結果、桐紋は「特定の家を示す」という家紋本来の機能を失いかけました。皮肉なことに、権威の証として配られすぎたことが、匿名の紋になる条件を作ったわけです。

したがって、貸衣装の紋を見て「うちは桐紋だ」と判断してはいけません。あれは家紋ではなく、家紋の座に置かれた空席のようなものです。

自分の家の紋を確かめたい方は、墓石や仏壇まわり、自前で仕立てた紋付を確認してください。調べ方については別記事で詳しく解説しています。

家が桐紋だったら

もし調べた結果、本当に桐紋だったとしたら。

まず、五三桐なのか五七桐なのか、そして丸で囲まれているか(丸に五三桐など)を確認してください。桐紋にはバリエーションが非常に多く、太閤桐、光琳桐、鬼桐など、変形も数多くあります。

そして、桐紋であること自体を少し誇ってもいいかもしれません。あなたの家のどこかに、誰かから紋を与えられた人がいたということでと考えることができますから。それが名のある武将だったのか、村の名士だったのかは、もう分かりません。分からないまま、記号だけが数百年を旅して手元に届いている。

家紋というのは、そういうものです。

なお、家紋についての解説は諸説あるため、あくまで説の1つとしてご認識ください。


※本記事は一般的な情報提供を目的としたものです。家紋の由来や歴史については諸説があり、研究者や資料によって説明が異なる場合があります。

執筆者情報

樋口智大(行政書士)

アロー行政書士事務所の行政書士。
ドローン飛行許可申請や酒類販売業免許申請、古物商許可申請等の許認可取得のサポートをしています。
行政書士になってから紙・電子含めて印鑑と向き合う機会が増えました。また、酒類販売業免許をやっていると海外取引に触れる機会も多いことから、印鑑文化が海外では通用しないこと(サインが基本等)など、印に対するさまざまな経験をしたことにより、逆に興味を持つようになり、このような印鑑に関するブログを運営しております。歴史な好きなこともあり、家紋についても解説しております。