※本記事は一般的な情報提供を目的とするものであり、個別の事案や紛争についての法的助言を目的とするものではありません。個別具体的に捨印が求められる場面でのトラブルについては弁護士にご相談ください。また、歴史や由来に関しては諸説ありますこと予めご了承ください。
書類を渡されて「ここにも一つ印を押しておいてください」と欄外を指されたことはないでしょうか。それが捨印です。
言われるがまま押している人がとても多い一方で、「押すと何が起きるのか」の説明された経験のある人はほとんどいません。
この記事では、捨印とは何か、訂正印や契印とどう違うのか、そして押した瞬間に自分の立場がどう変わるのかを整理します。
捨印とはまだ存在しない訂正のために先に押しておく印
捨印とは、書類を相手に渡したあとで誤りが見つかったときに備えて、あらかじめ文書の欄外(余白)に押しておく印のことです。「捨て印」と書くこともあります。
普通、書類の記載を直すときは間違えた箇所に二重線を引き、そのそばに正しい内容を書いて、訂正した本人が印を押します。
これが訂正印です。
ところが書類がすでに相手の手元にあると、直すたびに書類を往復させることになります。
そこで、先に欄外に印を押しておき、軽微な誤りが見つかったら相手がその印を使って訂正できるようにしておく。
それが捨印の役割です。
つまり、捨印と訂正印の差は押す場所ではなく時間の順序です。
訂正印は直った内容を自分で確認してから押す印。
捨印はまだ何が直るか分からない段階で先に押しておく印です。
捨印は将来の変更をあらかじめ認めるという性質を持っているため、注意が必要となります。
捨印と契印・割印・止め印との違い
同じ「本文以外の場所に押すハンコ」はいくつかあります。
たとえば、契印は契約書が複数ページにわたるときに、ページとページの見開きにまたがって押す印です。
途中のページが差し替えられていないことを示します。
製本してある契約書なら、製本テープと表紙にまたがって押します。
割印は、契約書の正本と副本、あるいは原本と写しのように、2部以上の文書が対になっていることを示すために、2枚を少しずらして重ね、両方にまたがって押す印です。
止め印は、本文が終わったあとの余白に押して、ここから先には何も書かれていないことを示す印です。「以下余白」と書く代わりに使われます。
消印は、収入印紙と文書にまたがって押して、印紙を再利用できないようにする印です。
この4つは「文書が後から改変されていないこと」を示す印です。
これに対して捨印だけが、後からの変更をあらかじめ認める印です。
方向が正反対なのです。
なお、これらのうち消印だけは法令に根拠があります。
印紙税法8条2項が、課税文書の作成者に対し、印紙と文書にかけて判明に印紙を消すことを求めています。
捨印に法令上の根拠はない
捨印について定めた法律や政令はありません。
「捨印を押したらどこまで直せる」というルールも、どこにも書かれていません。
捨印は完全に実務上の慣行です。
慣行にすぎないということは、便利であると同時に、範囲が誰にも決まっていないということでもあります。
誤字脱字までのつもりで押した印が、相手にとっては「訂正の同意をもらった」という認識になってしまっているという場合もあるでしょう。
この認識のずれを埋める条文が存在しません。
一般的な解説では「軽微な訂正に限られる」と説明されますが、それは慣行としてそう理解されているというだけで、根拠のあるものでもありません。
ただし、法令に根拠がないことと、法的に無意味であることは別です。
捨印の効力は、押した人がどこまで認めるつもりだったかという意思の解釈の問題として扱われます。
最高裁も、債権者が捨印を使って遅延損害金の条項を書き加えた事案で、捨印があるからといって相手がどんな条項でも記入できるわけではなく、記入を委ねたといえる特段の事情がない限り、その条項について合意が成立したとは見られないと判断しています(最判昭和53年10月6日)。
したがって、捨印を悪用された場合に泣き寝入りするしかないというわけではありません。
それでも問題が残るのは、こうした争いになった時点で、訂正前の書類は相手の手元にしかないという点です。
判例が守ってくれるとしても、そこにたどり着くまでのコストは自分が負います。
いずれにせよ、捨て印でトラブルになった際は弁護士に相談する必要があります。
捨印を押した瞬間に何が変わるのか
「捨印を押すと勝手に契約内容を変えられてしまう」という説明を見かけることもありますが、これは少し正確ではありません。
捨印を押したからといって、相手が金額を書き換える権限を得るわけではありません。同意していない変更が絶対的に有効になるわけでもありません。
危険なのは「押したら何でも許される」からではありません。
押したことで、説明する責任が自分の側に移るからです。
しかも訂正前の書類は相手の手元にあり、自分の手元には何も残っていない。
リスクは非常に高いため注意が必要です。
捨印の押し方と訂正のやり方
捨印は文書の上部または左側の余白に押します。
契約書等が複数ページある場合、訂正が起こりうるページごとに押すのが原則です。1ページ目にだけ押しておいて全ページを直せるわけではありません。
押す位置に法令の決まりはありませんが、本文にかからない余白であることと、後から誰かが書き足せるだけの空白を印の周りに残さないことがポイントです。
実際に訂正するときの手順は次のとおりです。
誤りの箇所に二重線を引きます。一本線だと文字と紛れ、三本線だと元の文字が読めなくなるため、二重線です。修正液や修正テープは使いません。元の記載が読めるように残しておくことが前提です。
二重線のそばに正しい内容を書きます。
そして捨印のそばに、直した文字数を書きます。書き方は「削除2字 加入3字」のように、動作を先、数字を後にします。「2字削除」と数字を先に書くと、後から数字を足して「12字削除」に変えられる余地が残るためです。細かい話ですが、捨印はもともと相手に委ねる印なので、こうした細部が効いてきます。
同じページに訂正が複数あるときは、それぞれの箇所に二重線と正しい内容を書いたうえで、文字数の合計を捨印のそばに記載します。訂正印と違って押す印は1つで足ります。手間が省けるのが捨印の利点ですが、その利点はそのまま「1つの印でページ全体を直せる」というリスクでもあります。
捨印に使う印鑑はどれか
捨印には、その書類に押したのと同じ印鑑を使います。実印で署名押印した書類なら実印、認印で足りる書類なら認印です。
本文と違う印鑑で捨印を押すとその訂正が本人の意思によるものかどうかが不明確になり、捨印としての意味をほとんど持ちません。金融機関に出す書類では、届出印以外で押した訂正は受け付けてもらえないのが通常です。
なお、シャチハタなどの浸透印は、朱肉で押す書類の捨印には使えないと考えてください。印面がゴムで変形しやすく、同じ印影の再現性が低いため、そもそも同一性を示す用途に向きません。
捨印は断ってよい
捨印を押す義務は、どの書類にもありません。求められても押さないという選択は普通にできます。
もっとも、実務では断りにくい場面もあります。その場合は、何に使うのか目的と範囲を明確にしておくといいでしょう。
捨印のそばに、その印が何のためのものかを書き添えておく方法があります。「訂正は誤字脱字に限る」といった一文を余白に記しておけば、後から範囲を主張する根拠になります。
捨印であることを明記しておくこと自体、実務上も推奨されています。
訂正したときは連絡してもらうと口頭ではなく文面で取り決めておく方法もあります。
そして、渡す前に必ず全ページのコピー(またはスマートフォンでの撮影)を取ってください。手元に押印時点の状態が残っていれば、後で何が変わったかを示せます。
なお、白紙の部分がある書類に捨印を押すのは避けてください。
委任状の委任事項が空欄のまま捨印まで押すと、実質的に白紙委任状を渡したのと変わらなくなります。
すでに捨て印を押して渡してしまった書類がある場合
読んでいて「もう捨て印を押して渡した」、そしてそれはまずかったかもと思った方もいると思います。
捨印は、押した後に「あの印は無効です」と一方的に取り消せる性質のものではありません。できるのは、状況を確定させることです。
まず、相手に連絡して、訂正が発生したかどうかを確認します。訂正されているなら、どこをどう直したのか、その控えを送ってもらってください。何も直っていないなら、その旨を記録に残します。メールなど、後から見返せる形が望ましいです。
書類のコピーを取っていない場合でも、諦める必要はありません。相手方に対して、現在の書類の写しを求めることはできます。応じてもらえるかは相手次第ですが、求めた事実そのものが記録になります。
そのうえで、実際に身に覚えのない訂正がされていた場合は、弁護士に相談してください。前述のとおり、捨印があれば何でも認められるわけではないというのが判例の立場です。
行政手続では捨印を求められる場面が減っている
2020年以降の押印見直しで、行政手続の押印は大幅に廃止されました。
押印欄そのものがなくなれば、当然、捨印を押す場所もなくなります。
代表的なのが戸籍の届出です。法務省によれば、デジタル社会形成整備法による戸籍法改正に伴い、令和3年9月1日から戸籍届書の押印義務は廃止され、届出人の意向により任意に押印することは可能とされています。
私が扱う許認可の申請書も押印欄はほぼ消えました。
役所に出す書類で捨印を求められる場面は、確実に減っています。
一方で、残っている場所もあります。
金融機関の届出書類、司法書士や行政書士に渡す委任状、不動産取引やローンの書類。
ここは今も紙と押印が中心で、捨印を求められることがあります。
減ったからこそ、捨て印が求められたときは「なぜここでは必要なのか」を一度聞いてよい場面だと考えています。
電子契約に捨印はない
電子契約には捨印にあたる仕組みがありません。
紙の捨印は、「後から直すかもしれないので、その分の権限を先に渡しておく」という発想の産物です。書類を郵送で往復させるコストが高いからこそ、成り立っていた慣行でした。
電子契約では、誤りが見つかったら正しい内容のファイルを作り直し、もう一度双方が署名します。押し直しの負担がほとんどないため、先に権限を渡しておく必要そのものがありません。しかも電子署名は、署名後にファイルの中身が1文字でも変われば検証で分かる仕組みになっています。後から一方的に直すという行為がそもそも成立しません。
捨印を求められて気が進まないという書類が定期的に発生しているなら、その書類こそ電子契約に向いています。捨印を断る交渉をするより、紙をやめるほうが早い場合があります。
捨印はどこから来たのか?その由来
捨印は法令に根拠のない慣行だと書きましたが、では、いつ誰が始めたのでしょうか。
国立国会図書館のレファレンス協同データベースに、まさにこの疑問への回答が収録されています。
そこで紹介されている判例タイムズ390号の解説は、捨印の慣行の淵源を江戸時代の町方で作られていた人別帳に求めています。当主は毎月、人別帳に判を押すことを義務づけられており、これを月次判形と呼びました。そしてその月に人の異動があれば、判を押した部分の脇に、その旨が小さな字で書き加えられました。これが「脇書」です。
先に印を押しておき、後から必要が生じたらその脇に書き足す。捨印の構造が、江戸時代の帳簿の運用の中にすでにあったことになります。
明治以降に法制度が整備されてもこの慣行は条文にはならず、実務の作法として残りました。法令に根拠がないのは、忘れられたからでも軽んじられたからでもなく、もともと法律の外側で回っていた仕組みだからだと考えられます。
現在、行政手続の押印が廃止され、契約が電子化されていく中で、捨印は少しずつ使われなくなっています。
古くから続いた慣行が終わりに向かっている、その途中に私たちはいるのかもしれません。
まとめ
捨印は、まだ発生していない訂正のために先に押しておく印で、法令上の根拠はなく、範囲を定めたルールも存在しません。
押しても相手に権限が絶対的に生まれるわけではありませんが、争いになったときに「その訂正は本人の意思に基づく」と推定されやすくなり、覆す側に回るのは自分です。
押す義務はないので断ってよく、どうしても必要なら範囲や目的を明確にし、渡す前のコピーを必ず残してください。
出典・参考
- 民事訴訟法(e-Gov法令検索)https://laws.e-gov.go.jp/law/408AC0000000109
- 最高裁昭和39年5月12日判決(裁判所ウェブサイト)https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=53145
- 法務省「戸籍届書の様式変更について」https://www.moj.go.jp/MINJI/minji04_00827.html
- 内閣府「書面規制、押印、対面規制の見直し・電子署名の活用促進について」https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/imprint/i_index.html
- 内閣府・法務省・経済産業省「押印についてのQ&A」(令和2年6月19日)https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kisei/meeting/committee/20200622/200622honkaigi04.pdf
- 最高裁昭和53年10月6日判決(捨印による補充と合意の成否)
- 印紙税法(e-Gov法令検索)https://laws.e-gov.go.jp/law/342AC0000000023
- レファレンス協同データベース「契約書を作成する際に、『捨印』をすることがあるが、この根拠を知りたい」https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?
※本記事は一般的な情報提供を目的とするものであり、個別の事案や紛争についての法的助言を目的とするものではありません。個別具体的に捨印が求められる場面でのトラブルについては弁護士にご相談ください。また、歴史や由来に関しては諸説ありますこと予めご了承ください。

