藤紋(ふじもん)とは?佐藤・伊藤・加藤という苗字が多い理由と同じ話

日本でいちばん多い名字は佐藤です。伊藤、加藤、斎藤、近藤、遠藤、安藤、後藤。

「藤」のつく名字が、なぜこれほど多いのか。

そしてもうひとつ、藤紋がなぜ日本中にあるのか。

このふたつは、同じ話です。

どちらも藤原氏という一族が千年かけて日本中に散らばっていった結果だからです。

ただし、話にはひとひねりあります。京都に残った藤原氏の本流は、実はあまり藤紋を使っていません。 藤を掲げたのは、都を離れた側でした。

※本記事は一般的な情報提供を目的としたものです。家紋の由来や名字の成り立ちには諸説があり、資料によって説明が異なる場合があります。

藤という植物

藤はマメ科のつる性植物です。

自分では立ちません。他の木に巻きついて、それを支えにして伸びていきます。そして垂れ下がる花序は、長いもので80センチにも達するといわれます。淡い紫の房が幾重にも垂れる藤棚は、日本人にとって見慣れた春の風景でしょう。

つるは丈夫で、工芸品の素材としても使われました。長寿で、生命力が強く、繁殖力も旺盛。

この「長く伸び続ける」という性質が、家の永続への願いと重ねられました。平安時代には、すでに衣装の文様として藤があしらわれていたといいます。

下り藤と上り藤

藤紋には、大きく分けてふたつの形があります。

下り藤(さがりふじ)は、花房が下に垂れた形。藤の自然な姿をそのまま紋にしたものです。

※イメージです

上り藤(あがりふじ)は、花房が下から立ち上がる形。自然界にはない姿です。

※イメージです

なぜわざわざ逆さまの形が生まれたのか。本家と分家を区別するためという説、そして「花が下がる」のは縁起が悪いと考えられたためという説があります。

ここで、よく見かける説明にひとつ注意しておきます。

「下り藤は藤原氏、上り藤はそれ以外」という説は、俗説とされています。

どちらも藤原氏の系統で使われており、向きだけで家柄が決まるわけではありません。この手の「向きで格が分かる」式の説明は家紋の世界に多いのですが、たいてい後付けです。

藤原氏と藤の意外な関係

さて、ここからが本題です。

藤原氏の始まりは、中臣鎌足が藤原の姓を賜ったことにあります。その末裔が長く栄え、平安時代の政治を主導しました。

「藤原だから藤紋」——そう考えるのが自然です。

ところが、実際に調べてみると、話はそう単純ではありません。

まず、「藤原」という名の由来は地名にまつわるもので、植物のフジとの直接の関係はないとされます。

そして、より驚くのはこちらです。藤原氏系の堂上家97家のうち、藤紋を使っていたのはわずか8家程度にすぎません。一条家の分家である醍醐家が下がり藤、二条家の庶流である富小路家が藤の丸、正親町家・裏辻家・梅園家が藤巴——数えるとその程度です。

残るおよそ90家は、巴、唐花、花菱、杏葉、杜若、鶴、雀といった、藤とは何の関係もない紋を使っていました。

つまり、京都の公家社会において「藤原氏=藤紋」という共通認識は、存在しなかったのです。

では、誰が藤を掲げたのか

答えは、地方に出た藤原氏です。

藤原の一族が栄えると、当然ながら人が余ります。国司などの役職を得て地方へ赴任し、その土地で根を下ろす者が現れました。

そして彼らは、赴任先の地名と「藤」を組み合わせて名乗りはじめます。

佐野の藤原で、佐藤。伊勢の藤原で、伊藤。加賀の藤原で、加藤。近江の藤原で、近藤。遠江の藤原で、遠藤。斎宮寮の役職に就いた藤原で、斎藤

(名字の由来には諸説ありますが、おおむねこうした成り立ちが知られています)

そして彼らは、紋にも藤を掲げました。実際、佐藤・伊藤・加藤・後藤には下がり藤や上り藤の使用が多いとされます。斎藤・藤井・遠藤にも、藤紋の使用が多く見られるようです。

ここに、この記事でいちばん面白い逆転があります。

京に残った本家は、藤を必要としなかった。地方に出た者ほど、藤を掲げた。

考えてみれば当然のことです。京都にいれば、家柄は誰もが知っています。わざわざ「藤原の一族です」と示す必要がない。だから各家は、それぞれ馴染みの文様を紋にした。

一方、都を離れた者にとっては違います。自分が何者であるかを、名乗りでも紋でも示す必要があった。

「佐野に来た藤原です」と名乗り、藤の紋を掲げる。それは誇りであると同時に、地方で生きていくための身分証明でもあったのでしょう。

日本でいちばん多い名字が佐藤である理由の一端は、たぶんこのあたりにあります。

藤紋はその後も広がった

藤原氏の権勢にあやかろうと、直接の血縁でない家も藤紋を用いるようになります。

江戸時代には、幕臣およそ160家の家紋になったとされます。石田三成や大久保利通も藤紋を用いました。武家では本願寺氏、大久保氏、片倉氏、黒田氏、新庄氏など。

バリエーションも豊富です。藤の葉を左右に伸ばして円形に描く藤丸、十字形に構成した八つ藤、巴と組み合わせた藤巴。もちろん丸で囲んだ「丸に下り藤」もあります。

それで、うちは藤原氏の子孫なのか

気になるところだと思います。慎重にお答えします。

家紋の情報だけで祖先やルーツをたどることは、基本的にはできません。五大家紋のような人気の紋ほど家系の紛れが多く、あやかって使い始めた家も無数にあるからです。これは以前、家紋の丸について書いた記事でも触れたとおりです。

ただし、藤紋には少しだけ事情があります。

「藤原氏の後裔であることを示す名字」の家系に、藤紋が多く用いられているという事実があるからです。名字と紋の両方が藤で揃っているなら、藤原氏のいずれかの流れを汲む可能性は、他の紋よりは高いと考えられます。

とはいえ、「可能性がある」までです。確かめたいなら、家紋ではなく戸籍をたどる作業になります。

まとめ

  • 藤紋のモチーフは、他の木に巻きついて伸びるつる性植物の藤。長寿と繁殖力から、家の永続への願いを込めた紋
  • 下り藤は花房が下に垂れる自然な姿、上り藤は下から立ち上がる形。「下り藤は藤原氏」という説は俗説
  • 「藤原」の名は地名由来で、植物のフジとは直接関係がないとされる
  • 藤原氏系の堂上家97家のうち、藤紋を使ったのは8家程度。残り約90家は藤と無関係の紋だった
  • 藤を掲げたのは、地方に下った藤原氏。佐野の藤原で佐藤、伊勢の藤原で伊藤、加賀の藤原で加藤
  • 都に残った本家は藤を必要とせず、都を離れた者ほど藤を掲げた
  • 名字も紋も藤なら藤原氏の流れを汲む可能性はあるが、確かめるには戸籍をたどるしかない

藤は自分ひとりでは立てない植物です。他の木に巻きつき、支えられて、どこまでも伸びていく。

地方に散った藤原の末裔たちが、この植物を選んだこと。あまりできすぎた話なので、たぶん偶然なのでしょうが、それにしてもよくできていると思います。


※本記事は一般的な情報提供を目的としたものです。家紋の由来や名字の成り立ちには諸説があり、資料によって説明が異なる場合があります。

執筆者情報

樋口智大(行政書士)

アロー行政書士事務所の行政書士。
ドローン飛行許可申請や酒類販売業免許申請、古物商許可申請等の許認可取得のサポートをしています。
行政書士になってから紙・電子含めて印鑑と向き合う機会が増えました。また、酒類販売業免許をやっていると海外取引に触れる機会も多いことから、印鑑文化が海外では通用しないこと(サインが基本等)など、印に対するさまざまな経験をしたことにより、逆に興味を持つようになり、このような印鑑に関するブログを運営しております。歴史な好きなこともあり、家紋についても解説しております。