織田信長は「天下布武(てんかふぶ)」、北条氏は「禄寿応穏(ろくじゅおうおん)」、武田信玄は龍朱印、徳川家康は「福徳」と「忠恕(ちゅうじょ)」、豊臣秀吉は糸印(いといん)。
本シリーズではこれまで戦国武将のハンコを文書に押された印や所蔵機関の解説をもとに紹介してきました。
では、川中島で信玄と戦ったことで知られる上杉謙信はどんなハンコを使っていたのでしょうか。
結論からいうと、謙信が使った印章は後継者の景勝らの印章とあわせて27顆(か)が上杉家に伝わり、「長尾上杉氏印章」として国の重要文化財に指定されています。しかもそのうち14顆は、筆で書くはずの花押をハンコにした「花押印」です。
「顆」は印を数えるときの単位です。
この記事では文化遺産オンラインなど公的機関が公開している資料で確認できる範囲で、謙信のハンコの数や材質と長尾家・上杉家での使われ方を解説します。
なお謙信の印に何と彫ってあるのか(印文)は、今回参照した公開資料では確かめられませんでした。分かっていない点はその都度明記します。
※本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、記事中の指定年月日・点数・所有区分・印の用途などは、文化遺産オンラインなど各機関が公開している情報(2026年10月時点)に基づいています。謙信の家族関係や名乗りの変化、花押印の使い方などについては諸説があり、新たな史料の発見や研究の進展によって説明が変わる場合があります。謙信の印に彫られた文字(印文)など、公開資料で確認できなかった点は本文中にその旨を明記しています。「長尾上杉氏印章」は個人所有の文化財のため、実物の公開の有無は展示を行う各機関にご確認ください。本記事の内容に基づいて生じたいかなる損害についても、当サイトは責任を負いかねます。
謙信のハンコでわかっていること・わかっていないこと
謙信の印については、印章そのものが残っていることや数・材質などは公開資料で確かめられます。
一方で何と彫ってあるのか、どの印をどう使い分けたのかは確かめられませんでした。
| 項目 | 公開資料から分かること | 確認した資料 |
|---|---|---|
| 印章が残っているか | 晴景・謙信・景勝が使った印章と花押印(使用者不詳の1顆を含む)の計27顆が伝わり、重要文化財に指定されている | 文化遺産オンライン |
| 謙信が使った印章 | 謙信所用2顆、謙信・景勝所用4顆 | 文化遺産オンライン |
| 謙信が使った花押印 | 9顆(うち朱花押2顆) | 文化遺産オンライン |
| 材質 | 主に黄楊(つげ)。一部に桜や檜 | 文化遺産オンライン |
| 長尾家の印の最初の例 | 長尾能景が明応5年(1496年)の遵行状に黒印を用いたのが初見 | 文化遺産オンライン |
| 上杉氏の印判状の用途 | 主に制札・過所・知行充行状など | 文化遺産オンライン |
| 景勝への引き継ぎ | 景勝は謙信が使った4種の印章を引き続き使った | 文化遺産オンライン |
| 謙信の印の印文 | 今回の公開資料では確認できず | 記載のある公的資料は見つからず |
| 印章ごとの使い分け | 今回の公開資料では確認できず | 同上 |
重要文化財「長尾上杉氏印章」とは
文化遺産オンラインによると「長尾上杉氏印章〈晴景、謙信、景勝所用〉」は、1994年(平成6年)6月28日に国の重要文化財(美術品)に指定されています。
時代は室町から桃山で、所有者の区分は個人となっています。
指定されているのは印章13顆と花押印14顆の合わせて27顆です。内訳は次のとおりです。
| 種類 | 使った人 | 数 |
|---|---|---|
| 印章 | 謙信 | 2顆 |
| 印章 | 謙信と景勝 | 4顆 |
| 印章 | 景勝 | 6顆 |
| 印章 | 不詳 | 1顆 |
| 花押印 | 晴景 | 1顆 |
| 花押印 | 謙信 | 9顆(うち朱花押2顆) |
| 花押印 | 景勝 | 4顆 |
謙信が関わるものだけを数えると印章6顆と花押印9顆の計15顆になります。
晴景は謙信の兄にあたる人物とされています。
景勝は謙信の後継者で、新潟県の文化紹介サイト「新潟文化物語」では謙信の養子として紹介されています。
黄楊でできた木のハンコ
印章と花押印は主に黄楊でできていて、一部に桜や檜が使われています。
鈕(ちゅう)と呼ばれるつまみの部分まで一つの材から作られていて、背面には「上」などの文字が天地(上下)の目印として彫り込まれています。
押すときに向きを間違えないための目印と考えられます。
戦国大名の印というと金や銅の重々しいものを想像するかもしれませんが、謙信のハンコは木でできていたわけです。
現代の印鑑でも「つげ」はよく使われる材料の一つです。
箱に貼られた「御朱印並御華押」
これらの印章は上杉家で黒漆塗の箱に納められてきました。
箱には「謙信公・景勝公の御朱印並びに御華押(ごかおう)」という意味の貼紙があり、別の箱には「謙信公御華押」と書いた題簽(だいせん、箱に貼る題名の札)が付いています。
歴代藩主ごとに箱や包みに仕分けたものもありますが、解説によると箱の中にはいくつかの混乱が見られるそうです。
文化遺産オンラインの解説は、晴景・謙信・景勝のハンコがまとまって伝わっている例はほかにあまりなく、印章が実際にどう使われたかを示す具体的な遺品として日本の印章史上重要だとしています。
長尾家のハンコの最初の例は能景の黒印
文化遺産オンラインの解説は、日本の印章の歴史を大きく二つの流れに分けています。
一つは律令の公式令(くしきりょう)にもとづく「大和古印(やまとこいん)」の系統で、もう一つは中国の宋の時代の禅寺で用いられた様式の印章の系統です。
もともと印を押さなかった武家の文書に後者が影響を与え、戦国時代の印判状が生まれたとされています。
謙信の生まれた長尾家も、その流れの中で印を使うようになった家の一つと考えられます。
新潟県上越地域振興局のパンフレットによると、謙信は越後守護代・長尾為景(ためかげ)の末子として、1530年に春日山城で生まれました。
文化遺産オンラインの解説では、長尾家で印が使われたことが分かる最初の例は長尾能景(よしかげ)が明応5年(1496年)7月10日付の遵行状(じゅんぎょうじょう)に押した黒印だとされています。
能景は為景の父にあたる人物とされています。
為景は黒印と、鼎(かなえ)の形をした朱印を使いました。鼎は古代中国で使われた脚付きの器です。
そして謙信と景勝もさまざまな印章を使ったことが、残っている文書から分かっています。
祖父とされる能景、父の為景、そして謙信と景勝。長尾家から上杉家へと、印を押した文書を出すことは代を重ねて続いていたことがうかがえます。
上杉家のハンコは何に押されたのか
文化遺産オンラインによると、上杉氏の印判状(印を押した文書)は主に制札、過所、知行充行状などで確認されています。
- 制札(せいさつ):禁止事項などを書いて人目につく場所に掲げた札
- 過所(かしょ):関所などを通るための通行許可証
- 知行充行状(ちぎょうあてがいじょう):家臣に領地を与える文書
どれも多くの人に示したり、決まった手続きで繰り返し出したりする性格の文書だと考えられます。
一方で名古屋市博物館は、一般的に相手に対する礼が篤いのは花押で、低いのは朱印とされると説明しています。
相手や文書の性格によって花押にするか印にするかが選ばれていたと考えられます。
国宝「上杉家文書」には手紙の書き方の作法である書札礼(しょさつれい)や、印判の使用に関わる文書も含まれていると文化遺産オンラインは紹介しています。
新潟文化物語によると、一般的な書状は横長の切紙(きりがみ)ですが、東日本では縦長の竪切紙(たてきりがみ)が使われました。謙信も美濃の織田信長などへの書状は切紙で、小田原の北条氏など東日本の大名へは竪切紙が多いとされています。
紙の形にも、宛先の地域による違いがあったようです。
花押をハンコにした「花押印」
花押は名前などをもとにして作る自分だけのサインのようなものです。花押については別記事「ハンコとサインの間にある「花押」とは?」で詳しく解説しています。
新潟文化物語は、当時は文書の本文を右筆(ゆうひつ)と呼ばれる書記役が書くことが多かった一方、花押は本人が自ら書くのがほとんどだったと説明しています。
あわせて、花押の判子が残っていることにも触れています。
重要文化財の27顆のうち14顆がこの花押印です。謙信の分は9顆あり、印章の6顆より多く残っています。
9顆のうち2顆は「朱花押」とされていて、名前からすると朱で押すためのものと考えられます。ただ、黒で押すものとどう使い分けたのかまでは解説に書かれていません。
花押印は書く代わりに押すことで同じ形の花押を何度でも残せるため、出す文書が多いほど手間を省ける道具だったと考えられます。
また重要文化財には附(つけたり)として、2代定勝(さだかつ)から11代斉定(なりさだ)までの米沢藩主の印章も含まれています。
花押45顆と黒印16顆で、籠字(かごじ)花押印や袖印(そでいん)といった印もあるとされています。
花押をハンコにする使い方が江戸時代の上杉家にも続いていたことがうかがえます。
起請文に押された血判
ハンコとは別のしるしも残っています。
新潟県立歴史博物館が所蔵する謙信(輝虎)の血判起請文(きしょうもん)は、永禄10年(1567年)に色部勝長(いろべかつなが)に宛てたものです。
新潟文化物語によると、この起請文の花押の部分には謙信の血判が押されています。紙には牛玉宝印(ごおうほういん)という護符が使われています。
こうした血判から謙信の血液型を調べた研究者がいて、AB型だったともいわれています。
起請文は神仏に誓いを立てる文書とされます。
朱肉で押すハンコと自分の血で押す血判。同じ「押すしるし」でも、込められた重みはずいぶん違ったはずです。
景勝は謙信のハンコを使い続けた
文化遺産オンラインの解説によると、景勝は謙信が使っていた4種の印章を引き続き使いました。
13顆の印章のうち4顆が「謙信・景勝所用」とされているのは、このためと考えられます。
新潟文化物語では、謙信(輝虎)が養子の景勝に宛てた書状も紹介されています。
字が上手になったことを喜び、習字の手本を送ると伝える内容で、親心がうかがえる書状だとされています。
字の手本を送ってもらった養子が、のちに謙信のハンコを引き継いで押していくことになったわけです。
当主が替わっても同じ印が使われ続けたことは、印が個人だけでなく家を率いる立場とも結びついていたことをうかがわせます。
一人ひとりが自分の名前の印を登録して使う現代の実印とはずいぶん考え方が違います。
謙信の印には何と彫ってあるのか
ここははっきりしない部分です。
書籍やウェブサイトでは謙信の印の印文が紹介されていることがありますが、今回参照した公的機関の資料には印文の記載がありませんでした。
重要文化財の解説にもどの印に何と彫ってあるのかは書かれていません。
謙信は名乗りが何度も変わった武将でもあります。
新潟県上越地域振興局のパンフレットによると、変化は次のとおりです。
| 時期 | 名乗り | きっかけ |
|---|---|---|
| 幼少期 | 虎千代 | 寅年生まれのため |
| 14歳 | 景虎 | 元服 |
| 1561年 | 政虎 | 関東管領上杉家の家督と職を継ぎ、上杉憲政(のりまさ)から一字を受ける |
| 1561年 | 輝虎 | 将軍足利義輝から一字を受ける |
| 1570年 | 謙信 | 出家 |
長尾家の謙信が上杉家を継いだため、重要文化財の名称も「長尾上杉氏」となっていると考えられます。
名乗りが変わるたびに印も変えたのかどうかは公開資料からは分かりませんでした。
信長・北条・信玄・家康・秀吉と並べてみると
本シリーズでこれまで紹介してきた印と並べてみます。
| 武将 | 本シリーズで紹介した印 | 記事 |
|---|---|---|
| 織田信長 | 「天下布武」の印 | 「天下布武」ってどういう意味? |
| 北条氏 | 「禄寿応穏」の虎の印判 | 禄寿応穏と虎の印判について紹介! |
| 武田信玄 | 龍朱印 | 武田信玄の龍朱印とは? |
| 徳川家康 | 「福徳」と「忠恕」 | 徳川家康のハンコ「福徳」と「忠恕」とは? |
| 豊臣秀吉 | 糸印 | 豊臣秀吉のハンコ糸印とは? |
| 上杉謙信 | 印章6顆と花押印9顆が現存(印文は今回の公開資料では確認できず) | この記事 |
信長や北条氏の印は何と彫ってあるのかが分かっていて、その言葉の意味が語られてきました。
秀吉の糸印は公開資料からは彫られた文字を確かめられませんでした。
謙信の印は印文こそ今回の公開資料では確かめられませんでしたが、印章そのものがまとまって残り、重要文化財になっています。
そして残っている謙信のハンコのうち、半分以上が花押印だという点も特徴的です。
朱印と黒印の違いについては、別記事「朱印状と黒印状の違いとは?」で解説しています。
上杉家のもう一つのしるし「竹に雀」
ハンコと花押のほかに上杉家には家紋というしるしもあります。
米沢市上杉博物館の特別展「関東管領上杉謙信」(2020年)のページでは、上杉神社の重要文化財「白綾竹に雀紋小袖」が、謙信が着用したとされる家紋を散らした小袖として紹介されています。
印章、花押印、血判、そして竹に雀の家紋。謙信の周りにはさまざまな「しるし」が今も残っているわけです。
まとめ
上杉謙信が使った印章は、兄とされる晴景や後継者の景勝のものとあわせて27顆が上杉家に伝わり、1994年に「長尾上杉氏印章」として国の重要文化財に指定されています。
27顆のうち謙信が関わるものは印章6顆と花押印9顆で、主に黄楊でできた木のハンコです。
長尾家では祖父とされる能景が明応5年(1496年)に黒印を押したのが最初の例とされ、父の為景は黒印と鼎形の朱印を使いました。
上杉氏の印判状は主に制札・過所・知行充行状などで確認されています。
謙信のハンコで特徴的なのは、筆で書くはずの花押を彫った花押印が多く残っていることです。
一方で色部勝長に宛てた起請文では、花押の部分に血判が押されています。
景勝は謙信の印章4種を引き続き使いました。
謙信の印に何と彫ってあるのかは、今回の公開資料からは確かめられませんでした。
文化遺産オンラインが類例は稀だとするように、謙信のハンコは兄や後継者のものとまとめて印章そのものが伝わっている点に特色があるといえそうです。
※本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、記事中の指定年月日・点数・所有区分・印の用途などは、文化遺産オンラインなど各機関が公開している情報(2026年10月時点)に基づいています。謙信の家族関係や名乗りの変化、花押印の使い方などについては諸説があり、新たな史料の発見や研究の進展によって説明が変わる場合があります。謙信の印に彫られた文字(印文)など、公開資料で確認できなかった点は本文中にその旨を明記しています。「長尾上杉氏印章」は個人所有の文化財のため、実物の公開の有無は展示を行う各機関にご確認ください。本記事の内容に基づいて生じたいかなる損害についても、当サイトは責任を負いかねます。
参考・出典
- 文化遺産オンライン「長尾上杉氏印章〈晴景、謙信、景勝所用/〉」 https://online.bunka.go.jp/db/heritages/detail/167995
- 文化遺産オンライン「上杉家文書」 https://online.bunka.go.jp/db/heritages/detail/197506
- 新潟県「新潟文化物語 file-88 古文書からみる上杉謙信」 https://n-story.jp/topic/88/
- 新潟県上越地域振興局「上杉謙信公と十七武将達」(「紹介」「お館様の誕生」のページ) https://www.pref.niigata.lg.jp/uploaded/attachment/48134.pdf
- 新潟県「【上越】上杉謙信公を紹介するパンフレット「上杉謙信公と十七武将達」を作成しました。」 https://www.pref.niigata.lg.jp/jouetsu_kikaku/1356835751238.html
- 名古屋市博物館「常設展フリールーム 秀吉文書を読む」 https://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/owari_joyubi_news/hideyoshi_monjo/
- 米沢市上杉博物館「特別展『関東管領上杉謙信』」 https://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/115kensin.htm

