10月1日「印章の日」とは?明治6年の太政官布告と日本に実印の仕組みができるまでについて

10月1日は「印章の日」です。
ハンコ屋さんの店先で、この日にちなんだポスターを見かけたことがある方もいるかもしれません。

印章の日の由来は、明治6年(1873年)の太政官(だじょうかん)布告だと説明されています。
「明治6年の10月1日に公式の書類に実印を押すよう定められた」という紹介を目にすることが多いと思います。

ただ、公的機関が公開している資料をたどってみると、この布告が扱っていたのは役所に出す書類ではありませんでした。
また布告の前後には、印鑑帳(いんかんちょう)の作成、実印の預け渡しの禁止、自署との組み合わせなど、実印の仕組みを形づくる法令がいくつも出ています。

このページでは、印章の日とはどんな日なのか、由来とされる布告は何を定めたのか、そこから今の印鑑登録や押印のルールにどうつながっているのかを見ていきたいと思います。

印章の日とは

10月1日の印章の日は、印章店などでつくる業界の全国団体によって定められた記念日とされています。
現在は公益社団法人全日本印章業協会が事業のひとつとして「印章の日」の啓発ポスターを作成・配布しています。同協会は、印章の日を記念した行事として「印章祈願祭」も開いています。

協会の案内によると、祈願祭は毎年9月の最終日曜日に京都の下鴨神社(賀茂御祖神社・かもみおやじんじゃ)で行われます。役目を終えた古い印章を本殿でご祈祷し、境内の印納社に納めるそうです。
本殿脇には印璽社(いんじしゃ)があり、協会は印鑑・契約守護の神様として篤い信仰があると紹介しています。

祈願祭は昭和55年に京都府印章業協同組合の主催で始まりました。その後は協会の前身である全日本印章業組合連合会が主催し、平成24年からは現在の協会が引き継いでいます。

印章の日の由来とされる明治6年の太政官布告第239号

では、印章の日とされる「10月1日」という日付はどこから来ているのでしょうか。

日本銀行金融研究所が公開している論文「認証と電子署名に関する法的問題」には、「私法上の押印の扱い年表」が収められています。
そこでは、明治6年の太政官布告第239号について、実印を押していない証書は裁判上の証拠にならないこととした、と整理されています。

この布告は、明治6年10月1日以降に作られる証書に実印を用いるよう求めたものとされており、それもあってこの日付(10月1日)が印章の日の由来とされています。

なお、10月1日を「布告が出された日」と説明するものと、「実印が必要になった日」と説明するものがあり、紹介のされ方が揺れています。
本記事では、布告が出された月日そのものを公的資料で確認できなかったため、「10月1日以降の証書に実印を求めた布告」という説明にとどめさせていただきます。

布告以前は何を押していたのか

布告の文面は、それまで証文に爪印や花押を使う者がいたことに触れたうえで、実印を求める内容だったと紹介されることが多いです。

時代をさかのぼると、全日本印章業協会の『印章教科書』は、平安時代中期以降について、花押はもっぱら公家や領主、武将などが用いたもので、一般の庶民は拇印(ぼいん)や爪印などを文書に押していたと説明しています。
和歌山県立博物館のコラムも、中世までは花押が自署の証明となり、中世の終わりごろから武将などがハンコを使うようになったと紹介しています。

一方で、ハンコを持たない庶民が筆の軸の後ろをハンコ代わりに押す「筆印」を使うこともあったそうです。

江戸時代については、『印章教科書』が、一般の庶民や農民にも印判の使用が認められていた記録があるとし、印の使用が次第に庶民へ広がっていったと説明しています。

日本銀行金融研究所の論文も明治のはじめを民間で慣習として成立していた印鑑の使用を認めた時期と整理しています。

つまり明治のはじめには、印判が広く使われる一方で、爪印や花押のような別のしるしも残っていたと考えられます。
明治6年の布告は、民間の証書に押すしるしを実印にそろえる方向に働いたと考えることができます。

「公式の書類」の話ではなかった

印章の日の説明では、「公式の書類」や「公文書」に実印を押すよう定めた、と書かれることがあります。

しかし、先ほどの日本銀行金融研究所の年表は、タイトルのとおり「私法上」の押印の扱いをまとめたもので、第239号についても対象は「証書」とされています。
ここでいう証書は、お金の貸し借りや売り買いなど、人と人との間で交わす証文のようなものと考えられます。

また、日本銀行金融研究所の年表では、この布告の中身は「実印を押していない証書は裁判上証拠にならない」と整理されています。
罰を科すというより、実印のない証書は裁判で証拠として扱わない、という形で実印を求めたものと読めます。
実印を押しておかないといざ揉めたときに証書が役に立たない。
そういう仕組みで民間の証書に実印を広めようとしたと考えられます。

布告の前後に出された法令

明治6年の布告は単独で出されたものではありません。
前後の法令を並べてみると、明治のはじめの数年間で、実印の仕組みが段階的に組み立てられていったことがわかります。

明治4年:印鑑帳をつくる

日本銀行金融研究所の年表で最初に挙げられているのは、明治4年(1871年)の太政官布告第456号「諸品売買取引心得方定書」です。

『印章教科書』によれば、この布告は次のように定めたものでした。
約定書(やくじょうしょ)に使う印判(実印や商用判)を住んでいる町村の庄屋(しょうや)や年寄(としより)に届け出ておき、庄屋や年寄はそれをまとめて「印鑑帳」を仕立て、いつでも照合できるようにしておきます。

印影をあらかじめ届け出ておき、必要なときに照らし合わせるという発想は、今の印鑑登録と同じです。
印鑑登録制度の原型ともいえる仕組みが、明治4年の時点ですでに示されていたことになります。

明治5年:実印を人に預けない

翌明治5年の太政官布告第197号では、実印を他人に預けることが禁じられました(日本銀行金融研究所の年表による)。

届け出た印影と照合できても、実印そのものを他人が持っていては意味がありません。
印鑑帳で「どの印が誰のものか」を押さえ、この布告で「その印は本人が持つ」ことを求めた、という流れになります。

明治6年:実印のない証書は証拠にならない

そのうえで出されたのが、印章の日の由来とされる第239号です。
印鑑帳で照合でき、本人しか持っていないはずの実印を、証書が証拠として通用するかどうかと結びつけたことになります。

明治8年〜11年:印鑑帳は戸長の仕事に

『印章教科書』によれば、明治4年の諸品売買取引心得方定書は明治8年の太政官布告第87号で廃止されました。
ただし印鑑帳に関する事務は、その後も戸長(こちょう)が取り扱っていました。
明治11年の太政官達第32号では、町村内の人民の印影簿(いんえいぼ)を置くことが戸長の事務とされました。
日本銀行金融研究所の年表は、これ以降、印鑑登録は市町村固有の事務とされたと説明しています。

明治10年:自署と実印の組み合わせへ

明治10年の太政官布告第50号では、諸証書には本人が自署し、実印を押すことが求められました。
実印だけでなく、自分の手で名前を書くことも加わったということです。

ただし同じ年の司法省丁第78号では、銀行の当座預金請取証書(うけとりしょうしょ)、振出手形、為替手形(かわせてがた)について、姓名の自署や実印の使用は必要ないとされています。
取引の多い銀行実務には、例外が設けられていたことになります。

なお、印章の日の由来となった明治6年の第239号は、その後、明治10年代に第44号布告によって廃止されています(いずれも日本銀行金融研究所の年表による)。

明治21年:市町村の事務へ

明治21年に市制・町村制が定められると、戸長の職務だった印影の事務は市町村に引き継がれました。「従来慣例により市町村に属する事務」として扱われることになったのです(『印章教科書』による)。

署名か記名捺印か:明治32年から33年の揺れ

実印の仕組みが整う一方で、明治の法制度は、署名、つまり自分で名前を書くことを重視する方向にも動いていました。

日本銀行金融研究所の年表によれば、明治26年に施行された旧商法は署名と捺印を求めていましたが、明治32年施行の商法では署名が求められる形になりました。
ところが翌明治33年には「商法中署名スヘキ場合ニ関スル法律(しょうほうちゅうしょめいすべきばあいにかんするほうりつ)」(明治33年法律第17号)が制定されます。
商法で署名が求められる場面でも、記名捺印(きめいなついん)でよいとされたのです。

同じ論文では、この法律が成立した際の議論も紹介されています。
記名捺印を認めることに賛成する側の理由は、次のようなものでした。

  • 自署は日本の慣習に合わず、印章の使用が定着していること
  • 自分の氏名などの文字を書けない者が多いこと
  • 商取引で自署を求めるのは不便なこと
  • 実印の管理は厳重に行われていること
  • 偽造された印の判定は容易だが、偽筆の鑑定は難しいこと

反対する側からは、印章には盗用の危険があること、印章を持ってくるのを忘れたときに不便なこと、印影の判定が難しいことが挙げられています。

論文の筆者は、文字を書けない者が多いという点は現在は当てはまらず、多くは水掛け論だとしています。
そのうえで、論文が書かれた1998年の時点でもっとも説得力を持つのは「署名より押印の方がわが国の慣習として定着している」という点だろう、と述べています。

同じ考え方は現在の商法にも条文として置かれています。
商法第32条には「この法律の規定により署名すべき場合には、記名押印をもって、署名に代えることができる。」と定められています。

その後の印鑑証明と印鑑登録

実印を照合する仕組みは、その後、印鑑証明として定着していきます。

『印章教科書』によれば、明治43年6月16日の大審院(だいしんいん)判決は、市町村長などが個人の請求に応じて印鑑証明書を交付することは、一般の慣例で認められた職務権限だとしました。
そのうえで、村長が職務上作成すべき印鑑証明書を偽造・行使した行為は、公文書偽造行使罪にあたると判断しています。

現在の印鑑登録については、全国共通の法律があるわけではなく、市区町村がそれぞれ条例などで取り扱っていると説明されています。
処理の基準として大きな節目になったのが、昭和49年に当時の自治省が示した「印鑑登録証明事務処理要領」です。
ここで、印鑑登録証の交付と、登録された印影の写しを証明する間接証明方式への切り替えが示されました(日本銀行金融研究所の論文、『印章教科書』による)。

印鑑登録の具体的な手続きは自治体ごとに異なります。
当サイトの印鑑登録の解説記事もあわせてご覧ください。

明治6年と今とで実印の意味はどう変わったか

明治6年の布告では、実印のない証書は裁判上の証拠にならないとされました。
では、今はどうなっているのでしょうか。

内閣府・法務省・経済産業省が令和2年に公表した「押印についてのQ&A」の説明には、私法上、契約は当事者の意思の合致によって成立するもので、書面の作成やその書面への押印は、特段の定めがある場合を除いて必要な要件とはされていない。押印をしなくても、特段の定めがある場合を除き、契約の効力に影響は生じない、とされています。

一方で、押印に意味がないわけではありません。
民事訴訟法第228条第4項は、私文書に本人の署名または押印があるときは、真正に成立したものと推定すると定めています。

同じQ&Aは、最高裁昭和39年5月12日判決も紹介しています。
印影と作成名義人の印章が一致することが立証されれば、その押印は本人の意思に基づくものと推定され、さらに文書全体も本人の意思で作成されたと推定される、というものです。
これが「二段の推定」と呼ばれています。

ただしQ&Aは、この推定は印章の盗用などの反証によって破られ得るもので、その効果は限定的だとも説明しています。
また、印影と印章の一致の立証は、実印であれば印鑑証明書によって一定程度容易になるものの、いわゆる認印の場合は事実上困難が生じ得るとしています。

明治6年には「実印がなければ証拠にならない」とされました。
今は「押してあれば証明の負担が軽くなることがある」という位置づけです。
実印は、必須の条件から、証明のための有力な手がかりへと役割を変えてきたと考えることができます。
それでも、実印と印鑑証明書が照合の手段として重く扱われている点は、明治4年の印鑑帳から続く発想だといえるかもしれません。

印章の日とハンコとの関係

印章の日は、日本でハンコが生まれた日ではありません。
印章そのものは古代から使われていますし、戦国時代には大名が印判を押した文書を数多く出していました。

10月1日が指しているのは、民間の証書に押すしるしが、爪印や花押ではなく、届け出て照合できる実印へとそろえられていった節目だと考えられます。
その意味では、「印章の日」というより「実印の日」と呼んだほうが中身に近いのではないかと個人的には思うところもあります。

もっとも、これはあくまで一つの見方としてご覧いただければと思います。

まとめ

  • 10月1日の印章の日は、印章業界の全国団体によって定められた記念日とされる。全日本印章業協会は、印章の日を記念して毎年9月の最終日曜日に京都の下鴨神社で印章祈願祭を開いている
  • 由来とされるのは明治6年の太政官布告第239号で、実印を押していない証書は裁判上の証拠にならないとしたもの。10月1日以降の証書に実印を求めたとされる
  • 対象は役所に出す書類ではなく、人と人との間の証書(私法上の押印)だった
  • 前後には、明治4年の印鑑帳の作成、明治5年の実印の預け渡しの禁止、明治10年の自署と実印の組み合わせ、明治11年の戸長による印影簿の設置などが続いた
  • 明治32年施行の商法は署名を求めたが、翌33年の法律で記名捺印でもよいとされた。その考え方は現在の商法第32条にも置かれている
  • 現在は、特段の定めがある場合を除き、押印がなくても契約の効力に影響はない。押印は、裁判での証明の負担を軽くする手がかりという位置づけになっている

※本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、個別の事案に対する法的助言ではありません。明治期の法令の内容や日付、印章の日の由来については、資料によって説明が異なる場合があります。本記事は執筆時点で確認できた公的機関等の公開資料に基づいて記述しており、確認できなかった事項(布告が出された月日など)については本文中でその旨を記しています。原文の確認が必要な場合は、国立国会図書館等で公開されている法令集をご確認ください。印鑑登録の手続きは市区町村の条例等によって運用が異なりますので、お住まいの自治体でご確認ください。押印や契約書の効力が問題となる具体的なトラブルについては、弁護士にご相談ください。また、印章祈願祭の日程や古い印章の受付方法は変更される場合がありますので、全日本印章業協会の案内をご確認ください。当サイトは本記事の利用によって生じたいかなる損害についても責任を負いかねます。

参考文献

執筆者情報

樋口智大(行政書士)

アロー行政書士事務所の行政書士。
ドローン飛行許可申請や酒類販売業免許申請、古物商許可申請等の許認可取得のサポートをしています。
行政書士になってから紙・電子含めて印鑑と向き合う機会が増えました。また、酒類販売業免許をやっていると海外取引に触れる機会も多いことから、印鑑文化が海外では通用しないこと(サインが基本等)など、印に対するさまざまな経験をしたことにより、逆に興味を持つようになり、このような印鑑に関するブログを運営しております。歴史が好きなこともあり、歴史や家紋についても解説しております。